画家 綿引明浩 連載エッセイ no.7

07.jpgグレゴリーの笛
2000 クリアグラフ・カラージェッソ 22.0×15.0cm

 休みの日になると、隣に住む小学生の甥っ子は、よくアトリエに顔を出す。絵を描いている手を止めて、気分転換を兼ね、一緒に駄菓子屋へ買い物に行ったりするのは楽しい。僕が勝手につけたあだ名は「Mr.無駄くん」。彼はわざわざ横道に入って遠回りしてみたり、道路から外れて、公園の中をむやみやたらにグルグル走ったり。そうかと思うとS字蛇行を始め、今度は駐車場を突っ切って、一気にショートカット。こうして店に着くまでに、本当によく動き回る。もちろん、帰り道もその繰り返し。何でこんなに動き回るんだろうと首をひねりつつ、見ていると何だかこっちまで元気になってくる。

 多くの人は大人になるにつれて、目的に向かう際に、出来るだけ無駄を省いて合理的に行動しようとするものだが、概して子供は、一見すると無駄に思える行動の中で、ただただ楽しんでいる。多分、絵描きの仕事というものも、それに似たような側面があって、作品の完成まで、寄り道したり立ち止まったり......という事が必要なんだろう。
今から15年前、イタリアのフィレンツェで画廊を営む友人夫妻に、待望の男の子が生まれた。彼等の為に、何か心のこもったプレゼントをしたいと考えて、今回の作品「グレゴリーの笛」は出来上がった。その男の子の名前はグレゴリオ。絵に登場する階段を上る人は、鳥のさえずりを奏でる笛を吹き、新しい命を祝福している。

 当時、フィレンツェに滞在していた僕は、中央駅の近くにアパートを借りていて、散歩が毎日の日課だった。家を出ると、まずは市場に向かい、取りあえずハム屋の親父に挨拶。そのまま大聖堂を横目にして、小さい路地をひたすらクネクネ入っていく。やがて行き着けの画材屋が見えて来て、そこから更に路地へ向かうと、シニョリーア広場がある。ボッティチェリの作品で有名なウフィツィ美術館は、もう目の前。この回廊に沿って歩いて、美味しいジェラート屋の前でひと休み。そこから、アルノ河に架かるポンテ・ベッキオ周辺までが主なコースだった。そして、ポンテ・ベッキオを渡り、丘へ向かって少し歩くと、古い階段があって、その辺に友人夫妻の家がある。

 ひたすら無駄に細い路地を選んで歩いた事は、その後の制作で、とても役立っていると思う。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

| コメント(0) | トラックバック(0)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://uboat-data.com/movable_type/mt-tb.cgi/371

コメントする