2010年5月アーカイブ

01.jpgヴィオ・ドブレ/シエロ
2007 クリアグラフ カラージェッソ 93.0×93.0cm


 小さい頃、僕は漫画家になりたいと思っていました。毎日のようにストーリーを考えては、自分だけのキャラクターを紙に描いたりして過ごしていたものです。今にして思えば、それがアーティストとしての始まりだったかもしれません。

 それぞれの作品にあるストーリーは、身の回りにある日々の些細な出来事から発想を得たものです。それをノートやスケッチブックに書きためて、実際に作品を制作する際、一見するとバラバラとしているイメージを、ひとつの物語へと組み立てていきます。

 そこに登場する各々のキャラクターの事を、僕はキャスト(配役)と呼び、アトリエでは彼等が次の出番を待っている訳です。彼等は芝居を演じる俳優達のように、その都度作品に現われて、一つの舞台を創りあげる演出家と役者のように、演目(作品)によって厳しいオーディションを受ける事になります。そうして出来上がった作品で、国籍や性別、あるいは時間も越えた何か不思議な世界を展開していきたいと思っています。

 今回、表紙に登場する作品『ヴィオ・ドブレ/シエロ(空)』は、さえずりが音楽になって空へ飛び立って行く......そんな包み込まれるような音楽の美しい空間をイメージして制作しました。中心にいる柔らかな羽を持つロビン(駒鳥)は音楽の化身で、様々な空間と遊び色々な世界へと旅をします。

 この作品はクリアグラフと言うオリジナル技法で描いています。透明なアクリル板に色を重ねていく、紙やキャンバスとは全く違う趣を持つ絵画です。この技法はアニメーションのセル画からヒントを得て、何度も試行錯誤を繰り返して出来上がりました。また、ガラス絵と同様に裏から描いていくと言った特徴があるので、最初に置いた色がとても重要になります。ここから即興性といった要素も生まれます。この作品のテーマである音楽の世界でも即興性が心地よい楽しさを奏でる事があります。

 こんな観点からも、作品と音楽との嬉しい共通点を見つけています。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

02.jpg雲を食べる巨人
1992 版画 24.0×28.5cm


 遠い昔の遠い国、町の外れの丘の上にひとりの巨人が暮らしていました。見えるものでどんなものより大きくなりたいと思っていた巨人は、とにかく何でも食べ続けました。高くそびえる大きな岩山、果てしなく広がる青い海、何でも平らげて、見る見る間にどんどん大きくなっていきました。ある日、手にする全てを食べ尽くしてしまった巨人は、空に浮かぶ雲を見つめてこう考えました。「あの雲を食べれば、空よりも大きくなれる......」それから夢中で雲を食べる姿を最後に、誰も巨人を見た人はありませんでした。

 時にあまりに大きな希望や好奇心が、自分の器を大きくはみ出してしまう事があります。その結果、思いも掛けない新しい何かが生まれ、揚々と前進する時もあれば、その何かに飲み込まれ自分を見失いそうになる時もあるでしょう。この作品を制作した90年代前半、バブルが弾けて日本の経済が長いトンネルに入ろうとしている時でした。そして現在、再び難しい局面を迎え、新しい価値観への転換が必要な時代になりつつあります。

 江戸時代、活気ある経済と共に庶民文化が栄えましたが、後には大変な飢饉も起こり、激しい変化が生まれました。芸術文化はその時々の世相や、それを取り巻く人々の姿を写し出す鏡であったと思います。そんな時代に生まれた浮世絵がそうであった様に、今を生きる僕にとっても、時代(浮世)を敏感に感じて、その中から作品のエッセンスを僕なりの解釈で抽出しながら制作を行っています。

 雲を食べる巨人は雲を食べ続けたせいで、存在事体が透明な空気のようになり、人々の目からは見えなくなってしまうのですが、それは彼にとって良い事なのか悪い事なのか僕には分かりません。恐らくは時間が経って、新たな巨人が現われた時に分かる事なのかもしれません。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

03.jpg告白の塔
2000 クリアグラフ 23.0×18.0cm


 男の子によくある事ですが、僕は自分が通う幼稚園の先生に淡い恋心を抱きました。
 特別に美人という訳では無く、笑顔がとても明るく印象的でした。先生が微笑むと、もともと柔らかな目元が増々細く、まるで綺麗な三日月が横に二つ並んで、僕だけに優しく語りかけてくる気がしました。そして、胸の奥の方にある風船が指でキュッと押されて、ほんの少し息苦しくなるような不思議な感覚を覚えたのです。僕はその気持ちを自分で理解出来ないまま、でもどうしても何かを伝えたくて、先生に話しかけようとしましたが、幼い表現力ではどうにも出来ず、もちろん知っている言葉も少なくて、だけど恥ずかしさだけは一人前で、先生を目の前にすると顔を赤くするばかり。こうして何も言えないまま、日々が過ぎて行きました。

 そして迎えた卒園の季節、このまま先生に思いを伝えずに、さよならは出来ないと思い立ち、精一杯の勇気で気持ちを打ち明けた相手は、何と自分の母親でした。

「僕の先生の目って、バナナみたいで可愛いよね......」

 母はにっこり笑って、その話しを伝えてくれたので、それを聞いた先生は、小さな僕に飛び切りの美味しい笑顔をくれました。

 今回の作品「告白の塔」は、なかなか彼女に思いを告げられない男性と、彼からの愛の言葉を待つ女性が主人公です。
 とても優しく真面目な彼は、彼女を深く愛していますが、その真面目さ故に、何もしゃべらず黙り込んでしまう事が多いのでした。

 彼からのプロポーズの言葉を待つ彼女は、祈りを捧げれば恋が成就すると評判の教会へ彼を連れ出します。しかし、いくら待っても彼から言葉が出て来る様子はありません。がっかりした彼女は、教会の塔の上から空を覆ってしまう程、大きなため息をつきました。

 大人へと成長する課程の中で、僕は自分の表現方法に出会い、今こうして美術に携わる仕事をしています。あの時、自分で思いを告げられなかった僕の幼い初恋は、まるで何度洗濯してもスッキリとは落ちない、お気に入りの服に付いたケチャップの染みのように、今でも心のどこかに残っていて、時々僕にヒソヒソと話しをはじめるのです。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

04.jpgメルヘン
1995 銅版・インタリオ 35.5×45.0cm


 展覧会中、僕はクリアグラフを用いて、しばしば絵画のワークショップを開催しています。大人の方から小さなお子さんまで、幅広い年齢の人達に、絵画を体験的に楽しんでもらう目的です。こうしたワークショップを通して、これまでに見えて来た事がありました。

 大半の大人は、じっくりと絵のイメージを考え、順序立てて描くのに対して、子供は、行為自体を感覚的に捉えて一気に進めるので、たいてい大人の約半分の時間で作品を完成させます。それは、気持ちと指先がピンと張った糸で繋がっていて、そこから瞬時にイメージが伝わり、どんどんと手を動かしているといった感じです。その姿に、描く事の本質的な一面がある気がして、素直に驚かされ、感心させられます。

 この様な直感的な感性を持つ子供達へ、大人である我々は、言葉であれ絵画であれ、どんなメッセージをどの様に伝えていく事が出来るでしょうか。

 昔から脈々と語り継がれてきた「おとぎ話」、それはこの問いに対するひとつの答えではないだろうかと思います。
 ストーリーには沢山の暗示や教訓が、モザイクの様に織り込まれ、読む側も聞く側も、互いの想像によってイメージは大きく広がります。もちろん、全てがハッピーエンドではなく、あまりに残酷な結末を迎えるものも少なくありません。しかし、読み終わる頃には、その中にある一番大切なメッセージが、美しい和音の様にそれぞれの心に響いているものです。そう考えると、長い歴史の中でゆっくりと成熟した「おとぎ話」は、とても良く完成された、メッセージの伝達方法なのではないでしょうか。

 今回の作品「メルヘン」は、そんな「おとぎ話」への僕なりのオマージュとも言える銅版画の作品です。穏やかな湖に浮かぶ舟の上、母親は幼い子どもが大人になるまでに伝えたい、大切な思いを込めたお話を、ゆっくりと丁寧に聞かせています。青い空には、その子供の豊かなイメージが、様々な形となって輝き出します。

 銅版画は、15世紀後半のヨーロッパから現在に至るまで、ほとんど変らない技法で制作されています。きっと「おとぎ話」も、時間と言う長い道のりを、ゆっくりと歩き続けているのでしょう。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

05.jpg仲なおりの傘
1993 銅版・インタリオ 18.0×16.5cm


 井上陽水さんの有名な曲「傘がない」。僕が中学生だった頃に流行し、今聞いても色褪せない名曲のひとつでしょう。冒頭、当時の世相を反映した重い内容で始まり、突然、それは歌詞の語り部である、ごく普通の若者のプライベートな内容に遮られ、その違いに聞き手は強い印象を受けます。

 一体何を考え、この今をどの様に行動すればいいんだろう? 迷いながらも淡々と進む現実に身をゆだねている感覚、その独特のけだるい雰囲気が、当時中学生だった自分に迫って来る感じがありました。世の中で起こっている事なんて別にどうでもいい、若者特有の投げやりな気持ちと無関心さは、物事に対する理解の未熟さと言えるでしょう。若者は、その若さ故に方向を見失い、片寄りながらも、次第に大人へと成長していくものですが、こうした時代、あるいは世代の空気を、とても上手に表現していると思います。

 今回の作品「仲直りの傘」は、これとは違い、若い二人を大きな傘がしっかりとささえています。どしゃぶりの雨の中で、恋人達が相合い傘をする甘い場面......と言ってしまうとそれまでなので、この絵の意味を紹介します。
 恋人達の周囲には、これから二人に起こるであろう様々な出来事が、まるで大粒の雨の様にどんどん降り注いでいます。大きな傘に入った二人は、互いを守り、しっかりと体を寄せあって助け合います。この大粒の雨、つまり困難に対する忍耐や協力こそが、二人の愛を深めていく大切な要素になっています。

 最後に傘にまつわる話をもうひとつ。スペイン語で「傘」のことを「paraqua」と書きますが、これは「para=止める」と「aqua=水」が合わさって、水を止める、つまり雨から身を守ると言う意味です。ちなみに夏の海岸で日除けに使うパラソル、これも「para=止める」と「sol=太陽」がひとつになった言葉で、太陽を止めて、強い日ざしから身を守ると言う事になります。この「パラソル」という言葉、すっかり外来語として日本に定着した感じがありますが、こうして音だけではなく、成り立ちを知ると、その言葉は増々生き生きとしてきます。ちなみに漢字で書く「傘」、4人の人達をしっかりと守る、まさしく大きな「傘」の形に見えてくる様で、こちらも雨の日が少し楽しくなりそうですね。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

06.jpgワンダーコレクション ACT1
2008 銅版・インタリオ 40.0×36.0cm


 冷たく澄んだ秋の空気が気持ちの良いある日、知人のお宅へ食事会に招かれた。その席では、いつも美味しい食事とワインが待っていて、数人での楽しいおしゃべりに花が咲く。

 風が心地よい夜のテラスで、グラスを片手に話しをしていると、植え込みから秋の虫達が鳴き始めた。その音色に耳を傾けながら、穏やかな秋の気配を楽しんでいたら、フランス人で、もう十何年も日本で暮らすゲストのひとりがこんな話しをした。フランスから日本へ来たばかりの頃、向こうであまり聞かなかった夏に鳴く蝉の声に、とても驚いたそうだ。今ではその声を聞けば、「あぁ、暑い夏がやって来たんだな」と思うようになったが、一般的にフランスでは、虫の声の印象は「ノイズ」で、日本人が思うような季節のうつろいを感じる事はなく、情緒的には受け取らないそうである。日本人の僕には季節を感じる音が他の国では全く違うというごく当たり前の文化の違いを、改めて知った夜になった。

 ヨーロッパの古いお宅へ伺うと、額縁に入った絵画や写真が、壁一面に沢山飾られた部屋を目にする事が多い。その様子を初めて見た時、僕は何故こんなに隙間なく壁を埋めるのか正直分からなかった。床の間にある掛け軸、そこに生けられた季節の花などといった静かで日本的な「間」とは、全く別の見せ方である。しかし、それぞれの国の風土や考え方に触れるうちに、その違いを楽しむ事を知るようになった。

 今回の作品「ワンダーコレクション」も、床はチェス盤のようで、アーチ型にくり抜かれた壁には、大小の作品が所狭しと掛けられている。この部屋の持ち主は、中央でキャンバスを持つ青い帽子の彼。人々は彼を「さまよえる画人」と呼ぶ。この部屋の中で、彼は名画の中を巡り歩くというイメージの世界で遊ぶのだ。そして、そこにある魔法の魅力を解きあかすべく、様々な角度から眺めてみる。名画達は美しいバイオリンの音のように、静かに心を揺さぶる時があれば、耳を塞ぐ程に感情的で激しい時もあるだろう。「さまよえる画人」は、そんな多様な感覚やイメージを、ゆったりと、そして大らかに鑑賞する。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

07.jpgグレゴリーの笛
2000 クリアグラフ・カラージェッソ 22.0×15.0cm

 休みの日になると、隣に住む小学生の甥っ子は、よくアトリエに顔を出す。絵を描いている手を止めて、気分転換を兼ね、一緒に駄菓子屋へ買い物に行ったりするのは楽しい。僕が勝手につけたあだ名は「Mr.無駄くん」。彼はわざわざ横道に入って遠回りしてみたり、道路から外れて、公園の中をむやみやたらにグルグル走ったり。そうかと思うとS字蛇行を始め、今度は駐車場を突っ切って、一気にショートカット。こうして店に着くまでに、本当によく動き回る。もちろん、帰り道もその繰り返し。何でこんなに動き回るんだろうと首をひねりつつ、見ていると何だかこっちまで元気になってくる。

 多くの人は大人になるにつれて、目的に向かう際に、出来るだけ無駄を省いて合理的に行動しようとするものだが、概して子供は、一見すると無駄に思える行動の中で、ただただ楽しんでいる。多分、絵描きの仕事というものも、それに似たような側面があって、作品の完成まで、寄り道したり立ち止まったり......という事が必要なんだろう。
今から15年前、イタリアのフィレンツェで画廊を営む友人夫妻に、待望の男の子が生まれた。彼等の為に、何か心のこもったプレゼントをしたいと考えて、今回の作品「グレゴリーの笛」は出来上がった。その男の子の名前はグレゴリオ。絵に登場する階段を上る人は、鳥のさえずりを奏でる笛を吹き、新しい命を祝福している。

 当時、フィレンツェに滞在していた僕は、中央駅の近くにアパートを借りていて、散歩が毎日の日課だった。家を出ると、まずは市場に向かい、取りあえずハム屋の親父に挨拶。そのまま大聖堂を横目にして、小さい路地をひたすらクネクネ入っていく。やがて行き着けの画材屋が見えて来て、そこから更に路地へ向かうと、シニョリーア広場がある。ボッティチェリの作品で有名なウフィツィ美術館は、もう目の前。この回廊に沿って歩いて、美味しいジェラート屋の前でひと休み。そこから、アルノ河に架かるポンテ・ベッキオ周辺までが主なコースだった。そして、ポンテ・ベッキオを渡り、丘へ向かって少し歩くと、古い階段があって、その辺に友人夫妻の家がある。

 ひたすら無駄に細い路地を選んで歩いた事は、その後の制作で、とても役立っていると思う。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

08.jpgハッピースノー
2008 クリアグラフ・カラージェッソ 25.0×18.0cm

 クリスマスが近付くこの季節、大人気なくいつもワクワクしてしまう。通りにはイルミネーションが輝き、店のショーウィンドウも賑やかだ。

 今回の作品「ハッピースノー」は、そんな12月のある広場が舞台。クリスマス・イブの夜、人々は広場に集まって、大きなツリーにささやかな願いを込める。これは不思議な鳥達が集まったツリー。おまじないと共に鳥が羽を振ると、広場にはフワフワと白い雪が舞い始め、ささやかな幸せに包まれていく...。

 1985年の12月、最初の個展が東京で開かれて以来、この師走の時期は、いつも何処かで展覧会をやっている。もちろん、作品は勝手に完成してくれないので、ほぼ毎日アトリエに引き蘢った状態で、黙々と制作をする。そして展覧会が始まると、静かな日々から一転、会場で沢山の人と会って、沢山の話しをする。作家になって、ちょっと変ったクリスマスシーズンを過ごしているなぁと、つくづく思う。それでもクリスマスを楽しみにする気持ちが残っているのは、きっと懐かしい記憶のせいだろう。

 子供の頃は、自分の親兄弟をはじめ、若い叔父や叔母も一緒に暮らす大所帯だった。甘いものが大好きだった僕は、クリスマスに食べるケーキを本当に楽しみにしていた。だから、この日は小学校から急いで帰って来る。夜、大人達の「ただいま」の声が聞こえると、いつもは煎餅が置かれた食卓の上に、大きなデコレーションケーキが1つ2つと並び始める。父親、そして働き始めたばかりの若い叔父や叔母が、それぞれ大勢いる家族の為にと、奮発してケーキを買って帰るのだ。その夜は、こうして3つのデコレーションケーキが勢ぞろいする。

 「いただきま〜す!」。目の前にある輝くような光景に、感動で胸がいっぱい。クリスマスだけの贅沢な時間を満喫できる夜だ。しかし、そうそう沢山ケーキを食べられる筈もない。ちなみに当時は、生クリームではなく、保存が効くバタークリームケーキが主流だったので、こってりとした甘さもなかなかの強敵だった。当初の幸福感は無惨に打ち砕かれ、何でクリスマスだけにケーキが集中するのかと、恨めしく思ったりさえした。

 色鮮やかなデコレーションケーキが食卓に並んだ光景は、今でも良いクリスマスの思い出として、心をフワッと暖かくしてくれる。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

09.jpgビューティフル・ライフ
2000 クリアグラフ・カラージェッソ 22.5×15.0cm

 今年、父親は81 歳になる。腰が痛いの足がつったの、グチる事が少し多くなったものの、実に元気だ。実家で一緒に食事をした際に、もし戦争があと1 年長引けば、自分は特攻隊に入って、太平洋で命を落としていたかもしれないと話す事があった。そんな思いからだろうか、常に新しい事にチャレンジし、ひとときの時間も無駄にしない感じだ。
 そんな父親は一年前からパソコン教室に通い、更に電車で2 時間かけて、東京で書道も習い始めた。僕から見れば充分に達筆なのだが、本人はやる気満々。

 家の畑で野菜づくり、庭の植木の手入れ、はたまた町内会長として地域をまとめ、夜は自警団のパトロール......。いつも外で何かをしているから、たまに実家に電話をしてもコール音が響くばかりだ。

 昔から仕事仕事で、その上頑固を絵に描いた様な人だから、子供の頃の僕にとって、相当に取っ付きにくくて苦手な父親だった。しかし、自分も年を経るにつれ、そんな父親の生き方がだんだん好きになっている。老後はゆっくりと、なんて考えず自分が出来る精一杯の役割を果たそうとする姿は、見ていて清々しい。

 今回の作品『ビューティフル・ライフ』は、新しく生まれた生命の象徴である双葉と、それをしっかりと支える二人の人物が描かれている。二人はこれから成長する命が、美しく幸福に満ちたものになる事を祈っている。その成長の過程では、何かハッキリとした痕跡を残す事はそれほど重要では無い。流れる時の中、少しずつ積み重ねられていく記憶の層が、しっかりと次へと重なって、柔軟でありながら力強い地盤が出来ていく。
そんな風に時代を繋げたら、それは美しく素晴らしいものになるだろう。

 昨年末、この父親からダンボールの箱が届いた。畑で採ったばかりの、虫食いだらけだが飛び切り新鮮な野菜が、隙き間無く几帳面に詰まっていた。さっそくお礼の電話を入れる。電話口でさんざん待って、ようやく出たと思ったら「ああ、届いたか」と言うだけの短い返事。さっさと切られてしまった。多分、電話の向こうで、相変わらず忙しくしているのだろう。

 しかし思えば、畑仕事も子育てもしながら、このガンコな父親に永年連れ添ったきた母
親こそ、実は凄いのかもしれない。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。

10.jpgアップルガーデン
2009 アクリル・キャンバス F50号 (91.0×116.5cm)

 イタリアに滞在中、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な作品『最後の晩餐』を見るため、北の大都市ミラノへ出かけた。
 まだ朝靄に包まれた駅に到着してから、まずは市内観光をと、大聖堂やオペラ座など、お決まりのコースへ向かう。古い街並をあちこち歩いていると、時間はあっと言う間に過ぎるものだ。まだランチを食べるには少し早かったが、友人が教えてくれたミラノでも評判の店へ急いだ。まだお客もまばらだったので、ゆっくりと席に座れた。友人のアドバイスに従い、さっそくピザとワインを注文する。しばらくすると大きな皿からはみ出す程の、焼き立てのマルゲリータが運ばれて来た。薄いピザ生地には白いチーズと赤いトマトがたっぷりとのっていて、何とも美味しそう。期待通りの味で、たちまち平らげてしまった。そうこうしていると、ちょうど昼休みに入ったのだろう。多くのビジネスマン達がどっと押し寄せて来て、店内はたちまち満席になった。普段は耳に心地よいおしゃべりも、さすがにこれだけの人数になるとちょっとうるさい。さっさとエスプレッソコーヒーを流し込んで店を出た。

 『最後の晩餐』は、ミラノ市内のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の、かつては食堂だった大広間にある。レオナルドは一般的な壁画に用いるフレスコ画で描かなかったので、彼の生存中には既に破損が生じたそうで、この作品は永年にわたって修復されていた事でも有名である。

 おそらくは訪れた時間帯のせいだったろう、絵の周囲には観光客もまばらで、辺りは静寂を保っていた。まだ修復が完了する前だったので、絵の全体を見る事は叶わなかったが、薄暗い明かりの下、注意深く目を凝らしながら作品と対面した時の感動は今も忘れる事が出来ない。

 今回の『アップルガーデン』は、この『最後の晩餐』のオマージュとも言える作品だ。
悲劇的な最後を前にした「晩餐」と対比させ、ここでは牧歌的で楽しい「宴」の場面を描いた。明るい中庭には、裏切りも疑心も無い。

 ところで、僕は毎日の食事をとても楽しみにしている。メニューを何にしようとあれこれ考えたり、夫婦で相談してみたりするのも良い。こうして「食べる」という基本的な営みを、煩わしく無くイメージする事は、作品を制作をする上でも役立っていると思うのだが...。さてさて、今夜は何を食べようかな。

wa-sign.jpg


*このエッセイは2009年5月から2010年3月まで、アルトマーク社『クレデンシャル』誌に掲載されたものです。